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ロシア料理について

モスクワは、現在日本料理がはやっている。いたるところにスシバーがある。ヘルシーな日本食メニューは、ロシア人達の間で人気を呼んでいる。しかし、モスクワに行ったら、日本風の顔をした料理人が作った中途半端な日本食ではない、本場のロシア料理にトライしてみてほしい。

ロシア人のおおらかな性格は、ロシア料理にも現れている。フランス料理を取り入れた、ロシアの宮廷料理、ソ連時代の様々な民族の民族料理の影響など。ロシア料理は、様々バラエティに富んでいる。

モスクワは、今、レストランブームでもある。毎月、毎月、新しいレストランがオープンしている。イタリア料理、フランス料理、日本料理、中華料理、ロシア料理...中には、アフリカ料理のレストランもある。それらの料理の影響を受けて、ロシア料理も今後は変わっていくことだろう。料理に対する人々の関心は、土曜の朝のテレビの料理番組でも伺える。最近では、自宅で海苔巻きを食べるロシア人がいるとか。又、スーパーマーケットのおそうざい売場でのりまきが売られるようになった。ロシアの家庭料理も変わってきている。



  1. ロシア料理の歴史
  2. レストランで出される一般的なロシア料理
  3. ロシア料理の豆知識
  4. ロシアでのレストランの予約について

1.ロシア料理の歴史

ロシア料理が現在の形で最終的に確立されたのは、今から約100年以上前、19世紀の後半である。1840年代から1880年代には、たくさんの料理の本が出版された。

<古代ロシアの料理>(9~16世紀)
ロシア料理500年の発展の歴史において、古代ロシア料理は、パン、粉製品と、穀物製品がその基礎となっている。9世紀にイーストを使った酸っぱいライ麦の黒パンができた。

古代ロシアの粉を使った食品は、すべて、イースト菌の入った酸っぱいライ麦の生地でだけで作られていた。ライ麦のキーセリも作られた。

新しいパン製品(オラージヤ(ホットケーキの一種)、シャンガ(ホットケーキの一種)、プイシュカ(小型ロールパン)、バランカ(輪型のパン)、ブーブリク(太い輪型パン)、カラーチ(ロシアの一般的な白パン)がロシア料理に入って来たのは、その時代からずっと後の14世紀から15世紀である。

この時代に特に発展したのは、ピロシキである。様々な中身が考え出された。魚、肉、野鳥、キノコ、トヴォログ(カッテージチーズ)、野菜、イチゴ類、果物が入っている。また、魚、肉、キノコと様々な粉を組み合わせたピロシキもある。穀物は、お粥料理の基礎ともなった。スペルト小麦の粥、そば粥、ライ麦粥、大麦粥が作り出された。また、様々な食べ物を混ぜてお粥をつくることもあった。10世紀から14世紀において、粥は、たくさんの人々が参加する、大がかりな宗教的儀式のメニューとしての意義を獲得した。

世界的に有名なロシアのウオッカが誕生したのは、1448年から1474年の間である。しかし、ウオッカの普及は、ウオッカが国家独占となった、15世紀末から16世紀初めである。1505年にウオッカは、ロシアからスウェーデンに広まった。1533年クレムリンの対岸のバルチュークに、ロシアの最初の「レストラン」が開店した。

中世になると、ロシア料理と(肉・乳製品を控える)精進料理、非精進料理とのはっきりした区分ができた。



<古モスクワ料理>(17世紀)
古ロシア料理もまた、17世紀の初めの衝撃(ポーランド、スウェーデンの侵入、農民の戦争、ロシアにおける著しい社会状況の変化)の影響を受けた。

古モスクワ料理の古ロシア料理との基本的な違いは、どの社会層の所属するかによりはっきりと料理が違っていることにある。貿易の発展とともに、上流階級の食卓に入る食べ物と、農民の手に入るものとの間にはっきりした差が現れはじめた。カザフ料理、ウラル料理、シベリア料理等の地方料理がでてきたことが、これらの原因となった。

古モスクワ料理の第2の特徴は、モスクワのツァーリと上流階級の食事がモスクワ料理全体に大きな影響を与えたということにある。モスクワは、すべての食品、異国風のものも、自由市場で販売された。

古モスクワ料理は、モスクワ、特に、20世紀の始めまでモスクワ川右岸の市域で保存されている。この料理は、基本的に、上流階級のテーブルにあったもので、食品もその調理方法も多種多様だったことを特徴としている。以前は、肉は、塩漬けや煮ものとして利用されたが、焼串にさして焼いたり、包み焼きにしたりするようになった。そのような肉の調理方法は、東方やバルカン料理からきたものである。また、食事にキャビアや、(アストラハンのチョウザメの薫製品、塩辛い煮こごりのチョウザメなど)様々な魚のデリカテッセン(珍味)が入り、ロシア帝国の南と東への拡大により、古モスクワ料理には、(メロン、スイカ、イチジク、ブドウ、レモンなど)様々な南のフルーツが入ってきた。この時期、様々な飴を作ることができた、かんしょ(蔗糖)の輸出が開始し、お茶を飲む習慣が始まった。

当時の貴族の食事には、1回の食事に50までとか、たくさんの量の料理がでるようになった。皇帝ツァーリの食卓は、150から200種類もの料理に増えていた。この場合食事は、6時間から8時間続き、だいたい10回もの料理の交換が行われ、料理の交換のたびに、15から20の料理が交換された。なお、イワン4世(1530~84年)の宴会では500皿出たという記録がある。

肉を焼く料理は、調理方法として普及しなかったことに注目する必要がある。ロシアの調理人達は、東方からの肉の調理のこの方法を借用しながらも、結局、それを自分のものとすることができなかった。古モスクワ料理には、細かく刻んだ食品は、まだ利用されておらず、ロシア料理は、大きな固まりから作られた。丸のままの肉や野菜を使うことが理想とされた。ピロシキの中身でさえ、小さいキノコは刻まないで、まるまま、魚は丸ままで利用された。


<ピョートル、エカテリナ時代の料理>(18世紀)
ピョートル大帝は、上からの改革として西欧化政策を行った。ピョートル大帝は、西欧の技術を導入するため、1696年に、大使節団を、オランダ、イギリスに派遣し、大帝自身も参加した。西欧の出口を開くため、ペテルブルグを建設した。エカテリナは、ピョートルの西欧化政策を引き継ぎ、貴族の公用語はフランス語とするというところまでなった。このような時代の流れは、ロシア料理の発展の新しい段階となり、この時代、古くからのロシアの調理伝統の完全なる拒絶として現れた。この時代、社会の豊かな人々は、西ヨーロッパの料理習慣を借用している。ヨーロッパ諸国を訪問後、多くの裕福な貴族達は、腕のいいコックを、特にフランス、オランダ、ドイツ、オーストリア、英国、スウェーデンから連れてきた。

この時代、ミンチ肉の料理が日常の食事に入ってきた。様々なカツレツ、パシュテット、ルレット(巻物)、また、西側のスープ、野菜スープ、ミルクスープ、裏ごしスープなどである。昼食とは全く別の食事として、ドイツから来たオープンサンドイッチ、(それまで使われなかった)バター、フランスやオランダのチーズ等の前菜を利用することが新しい料理習慣となった。これらの食品は、古いロシア料理(冷たい塩漬け肉、煮こごり、ハム、塩ゆで豚肉、および、イクラ、薫製品など)と一緒に、時間とともに、朝食などで利用されることが多くなっていった。



<ペテルブルグ料理。全国共通ロシア料理>(18世紀末~20世紀初め)
18世紀末に、ロシア民族料理に対する西ヨーロッパ料理の影響がより一層強化された。実際、至る所で、コンロを使った料理法が、炉による料理法に取りかわっていった。したがって、完全に台所用品の内容に変化が起こった。フライパン、鍋、ソテー鍋等が使われるようになった。その当時、(建築、洋服、もちろん、食生活等)いろんな分野で西ヨーロッパ風の生活がはやっていた。

フランス人コック、マリー・アンヅアン カレンが初めて、ロシア料理を体系付けて整理し、本を書いたが、ロシア料理のいいところをすべて、フランス人コックの業績に結びつけてしまうという、フランス式でやってしまった。そのようなフランス式のロシア料理が、現代、ロシア料理として受け入れられている。フランス人コックは、古いロシアのレシピに基づいて新しい料理をたくさん創造した。(ビーツ、サラダ用生野菜等)様々な食べ物で、組み合わせ料理が出てきた。しかし、外国の伝統がロシア料理に拡大したことにより、その時代のロシア料理は、いろんな点で、昔からのロシア料理と違いがあるが、それでも、十分その独自性は残っていた。

ロシア帝国の地方とのつながりの発展にともない、ロシア料理に、ロシア帝国の広大な領土に居住する様々な民族の民族料理が入るようになった。シベリアやウラルのペリメニ(水餃子)、ドンスキー ピロギ クルニク(カザフの鶏肉入りピロシキ)などが入ってきた。

しかし、この様々な料理にも関わらず、ロシア料理の本質は、変わらないまま残った。何世紀もの間ロシア料理は、黒パンや、ブリヌイ、ピロシキ、かゆなしで、(白パンが広く普及したのは、20世紀の初めだった。)最初の液体の冷たい、および、熱い料理なしで、また、様々な魚およびキノコ料理なしで、塩漬け野菜やキノコ、ジャムや、糖蜜菓子や、クリーチ(円筒型のケーキ)なしでのロシア料理は考えられない。

ロシアの民族料理の特徴は、量が多いことにある。ロシアの歴史家ボルチンがのべているように、ロシア人は、フランス人の3から4倍食べている。食事のメインをしめていたのはパン(1回の食事で1人あたり平均して0.5から1キログラムのパンを食べた。)2番目の場所を閉めたのが、様々な液体の冷たい、また、あたたかいスープ(シー、パフリョフカ、フハー、ラッソリニク、サリャンカ、アクローシュカなど)。時代とともに、このリストには、ウクライナボルシチ、ベロルシア スベコィニク(冷たいスープ)などが加わった。様々な肉料理が、魚や、キノコ料理、野鳥の料理にとりかわっていった。

昔からのロシア料理には、現在、実際に出会うことはあまりない。これは、一定の温度が保たれる炉で作るというロシアの伝統的な調理法が、今や、(田舎を除いて)どこでもみかけられないという環境から説明される。しかし、古くからのロシア料理は、オーブンやコンロでの調理方法では、おいしくない。そこで、以前明記したように、フランスの調理人達が、18世紀から19世紀に、古いロシア料理のレシピを新しい調理方法に、調整したため、多くの場合、ロシアの古いレシピも忘れられることがなかった。


・ 文学作品にみるロシア料理
19世紀の食事を文学作品から追ってみよう。その時代の人たちがどんなものを食べていたか生き生きと描かれている。貴族のエフゲニー オネーギンと田舎のグルメのソヴァケーッヴィッチ。あなたは、どちらにおもしろさを感じますか?

(ア)

A.S.プーシキン(1799-1837)の「エフゲーニー オネーギン」(岩波文庫 池田健太郎訳)より
「目ざす行く手は、料理店タロン。その店で、友人のカヴェーリンが待っている。店へ入る。――と、コルクの栓が天井へぽんと飛び、彗星印のシャンパンがどっと流れる。血のしたたるローストビーフ、若き日の贅沢であり、フランス料理の花と歌われるトリフ。リンブルグの生チーズ、ブリキ臭いストラスブルグの肉饅頭、金色のパイナップルが運ばれてくる。」(第一章 ふさぎの虫)
    *ストラスブルグの肉饅頭とは、アヒルのレバーのペーストが中に入った肉ピロシキのことを言う。

「平和な生活のうちに、一家はなつかしい従時の習慣を保っていた。肉料理のでる謝肉祭には、昔ながらのブリン(薄いパンケーキ)を焼き、年に二回精進をした.......また空気のようにクワスを必要とし、来客を交えての食事の時には、官等の順序に皿を配った。」(第二章 詩人)


(イ)

N.V.ゴーゴリの「死せる魂」より(岩波文庫 平井肇訳)より
うん、今日のシー(キャベツを中心に野菜を入れた温かいスープ)は、なかなか上出来だ。」ソバケーヴィッチは、シーを一匙すすって、そういいながら大皿から、シーにつきものの、羊の胃袋へ蕎麦の粥や脳味噌や足の肉を詰めた「ニャーニャ」という料理の大きな一切れをとった。「こんなニャーニャは、」と彼はチチコフの方を向いて、言葉を続けた。「とてもあの町じゃ食べれませんぜ。あそこじゃあ、まったく何を食わせられるかわかったもんじゃありませんからね。」(第一部第5章)

「....だが、わしのとこじゃあ、そうはしない。わしのところじゃあ、豚なら豚を丸ごと食卓へ出す、羊なら羊で、丸ごと出すし、ガチョウならガチョウで丸ごと出します。わたしはたとへ二皿きりでもかまわないから、思う存分たらふく食いたいほうでしてな。」なるほど、ソバケーヴィッチは、事実でそれを証明した。彼は羊の助肉を半分、自分の皿へぶちまあけると、それをすっかり食ってしまい、最後の骨の一本までがりがりやって、きれいに平らげてしまった..........羊の助肉に次いで凝乳饅頭(ワトルーシカ)がでたが、こいつは一つ一つが皿よりもずっと大きかった。その次には、子牛ほども大きさのある七面鳥がでた。これには、卵だの、米だの、肝臓だの、そのほか訳のわからない、いろんなさぞかし胃にもたれそうな代物が詰めてあった。」(第一部第5章)

「それから魚肉饅頭(クレビャーカ)の四角いやつをこしらえてくれ。」と主人は、舌なめずりをするような音をさせてスーっと息を吸いながら言った。「一つの角へはチョウザメの頬と軟骨を入れてくれ。もう一つの角へは、蕎麦粥と、それからネギをまぜたキノコだの、甘い牛乳だの、脳髄だの、それからまだ....」(第二部第3章)

「それから、蝶鮫のぐるりには、甜菜を花形に切ったのや、しらすや、椎茸や、それから、それ燕だの、人参だの、豆だの、まあそういった風ないろんなものでな、できるだけ澤山にあしらいをつけるんだぞ。それから豚の胃袋は、よくふやけるように今から氷を入れておくんだぞ。」(第二部第3章)


<ソ連料理>(1917年~1991年)
現代のロシア料理に大きな影響を与えたのは、ソ連時代であった。ソ連の共和国の様々な民族料理が広く普及した。幅広い人気を得たのは、アジアの共和国料理であり、バルト海三国の料理は、あまり普及しなかった。ロシア料理に強固に浸透していったのは、オリジナルな地元のレシピであり、ウクライナや、白ロシアから、(以前ロシアでは、全然利用されなかった)豚肉の脂肪の塩漬け、オデッサのレストランから、(地元のコックが調理した)ビーフストロガノフが生まれ、ペテルブルグのノボミハイロフスキークリンヌイカツレツ(商工クラブ「ノボミハイロフ」の鶏のカツレツ)が、何らかの方法で、ウクライナにわたり、時代とともにキエフカツとなった。

産業の発達は、ロシア料理に否定的な影響も与えた。より安価で、以前は、全然ロシア料理に利用されなかった、海の魚がだんだんと川魚にとってかわるようになった。そのため、多くのロシアの古い魚料理のレシピは、実際みかけることはなくなった。肉料理でメインをしめるのは、ヨーロッパ料理によりもたらされ、以前は、ロシア料理で全然使われなかったミンチ料理であった。以前は祭日のごちそうとみなされた鳥料理は、日常のものになり、その調理方法も著しく簡略化され、鳥を煮たり焼いたりの調理法であり、以前のように、詰め物をいれたりということはなくなった。

ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーの野菜の缶詰が、伝統的に塩辛いロシア料理にとって変わった。この際、野菜の内容として、また、缶詰の方法も、伝統的なロシア料理と共通するものはなにもなかった。

現在のロシア料理は、ヨーロッパ料理、特にフランス、英国ドイツ料理の影響を受けた、19世紀から20世紀に形成された形で、存在している。実際、ロシア料理として伝統的な調理方法が保存されなかったため、多くの伝統料理は、新しい形と味を獲得していった。現在まで変わらない形で残ったのは、ブリヌイ、ピロシキ(とはいっても、18世紀から19世紀にライ麦パンが、柔らかい小麦のパンに変わったが)、幾つかの種類のスープ、前菜、デザートと飲み物である。以前、ロシア料理ではあまり出されなかった魚や肉料理、鳥料理は、西側料理の影響により様々に幅広く普及していった。そのようにして、現在も、ほとんど変わらない形で残ってきた、伝統的な料理(ブリヌイ、ピロシキ、アクローシュカ、シー、様々な粥)以外、残りのロシア料理は、食品の組み合わせや、調理方法や、出し方も含め自由で、きちんとした決まりはないため、様々であるが、その量が多さは、共通するものである。


2.レストランで出される一般的なロシア料理

レストランで出される一般的なロシア料理を一部挙げてみた。
レストランでは、1.前菜(ザクースカ)、2.スープ 3.メイン(魚、肉、鳥、野鳥料理)、4.デザートの順番でだされる。ロシアは、昼食が正餐となる。焼きものは、その内容により、出される順番が決まる。


A.ザクースカ(前菜)

<ハロードヌイ ザクースカ(冷菜)>

  1. イクラ(キャビア)
  2. クラスナヤ イクラ(イクラ)
  3. スツージェニ(にこごり)
  4. ラソ-シ(サーモン)
  5. セリョートカ(ニシン)-ロシア人は、これを熱々のジャガイモと生ネギと一緒に食べるのを好む。
  6. ルイブナヤ ザクースカ(魚の前菜)-通常、サーモン、チョウザメの薫製の切り身が盛りつけられる。
  7. ミャスナヤ ザクースカ(肉の前菜)-通常、様々なサラミ、ハムの切り身が美しく盛りつけられる。
  8. イジイク(牛タン)-ゆでたものを薄切りにして、ロシアわさびを付けて食べる。
  9. グリブイ マリノーバンヌイ(キノコのマリネ)-キノコの中でも白キノコ(ベールイ グリブイ)は、おいしい。
  10. サレーニヤ(野菜の塩漬け)、マチェーニエ(水漬け)
  11. マリノーバンヌイ オバシ(野菜のマリネ)-マリノーバンヌイとはマリネ漬けを意味する。

<ガリャーチャヤ ザクースカ(温菜)>

  1. ブリヌイ(パンケーキ)
    いわゆる日本でいうホットケーキとクレープの中間。小麦粉、ライ麦、そば粉のパンケーキがある。ロシア人は、スメタナ、蜂蜜、ジャムを付けたり、肉、魚、キノコを巻いたり、場合によっては、おかゆという場合もある。レストランでは、キャビヤや、イクラと一緒に出されることが多い。


B.スープ

  1. アクローシュカ(クワスで作った冷たいスープ)
  2. シー(キャベツを中心に野菜を入れた温かいスープ)
  3. ラプシャー(そうめんに似た麺類を入れたスープ)
  4. ラッソーリニク(塩漬けキュウリ入りの肉(魚)のスープ)
  5. サリャンカ(香辛料のきいた濃い魚(肉)のスープ)
  6. ウハー(魚のスープ)
  7. パフリョーフカ(フレーブ(パン)の名前が入っているこのスープは、スプーンがなかった時代にパンをスプーンがわりに、一緒に食べていたところからこの名前がついたと言う。家にあるものを使って作られるという、古くから民衆に飲まれていたスープである。)


C.メイン

<ルイバ(魚)>
ロシア料理で使用する魚は、チョウザメなど川魚が中心である。これらを焼いたものや煮たものが出される。

  1. ラソーシ(サケ、マス)
  2. アセトリーナ(チョウザメの肉)
  3. シューカ(カワカマス)
  4. スダーク(スズキ)

<ミャサ(肉)>

  1. ジャルコエ(主として肉を焼いたもの)
  2. ガルフツイ(ロールキャベツ)
  3. ペリメニ(シベリア餃子)
  4. トショーンナヤ カルトーシュカ ミヤッサム(ジャガイモと肉をオーブンで焼いたもの)
  5. ガルショーチカ(肉やジャガイモ、タマネギを壺に入れてオーブンで焼いたもの)
  6. ストロガノフ
  7. ビーフシュテーク(牛肉を焼いたもの)

<プチッツア(鳥)>

  1. ツィプリャータ タバカ(若鶏の押し焼き)
  2. キエフスキー カトレト(キエフカツ)

<ジーチ(野鳥料理)>

  1. ジャーレンナヤ ペレペルカ(ウズラを焼いたもの)

<その他のメイン>

  1. カルトーシュカグリパミ(ジャガイモとキノコを焼いたもの)


D.焼きもの

  1. ピロシキ、ワトルーシキ(カッテージチーズをパンの上に載せて焼いた菓子パンの一種)、ラッスチェガイ(上から中身がみえるようになっているピロシキ)、クレビャーカ(肉、魚、キャベツ、粥入りの)細長いピロシキ


E.デザート

  1. マロージュナヤ(アイスクリーム)
  2. トルト メドーブイ(蜂蜜ケーキ)


3.ロシア料理の豆知識

  1. 日本のピロシキとロシアのピロシキ
    ロシアでピロシキを頼んでも、日本で売っているような揚げパンを手に入れることはできない。ロシア人に、揚げパンはピロシキではないかと聞いたところ、揚げパンもピロシキの一種だが、後で生み出されたものだとのこと。「プローシャジヌイ ピロギ(広場のピロシキ)」と呼ばれる。広場では、炉がないため、また、焼く時間がないため、ピロシキを油で揚げて売ったため、この名前が付けられた。
    ピロシキとは、ロシアでは中身の入ったパンのことを言う。主に、ロシア人達は、ピロシキを炉で焼いて作っていたため、ロシアで一般的に出されるピロシキは、揚げパンではなくふつうのパンからできている。

    日本で売っているピロシキは、肉やタマネギの入ったピロシキがメインだが、ロシアでは中身は様々だ。キノコ、米と卵、挽肉、レバー、キャベツ、卵とネギ、ジャガイモ、リンゴ、魚のミンチ、トボログ、イチゴやスグリのジャム、米と卵など、それぞれの家庭によって、作るピロシキも味が違っている。日本のみそ汁とちょっと似ている。
  2. ストロガノフについて
    オデッサのレストランで残り肉がでたため、それを細かく切ってスメタナを混ぜて調理し、貧しい人たちに配っていた。ストロガノフ氏が、貧しい人たちがレストランの前で並んでいるのを見て何があるのかと思ってのぞき、その料理を食べてみたところおいしいため、自分のために、そのレストランでその料理を注文するようになったというエピソードから始まる料理である。
  3. ロシア紅茶について
    日本では、ロシア紅茶というと、紅茶にジャムが出てくる。が、ロシアでは必ずしも紅茶にジャムという組み合わせをするわけではない。

    紅茶は、1638年に中国からロシアのツァリー(皇帝)に初めて伝えられ、1674年に一般的に売られるようになったといわれている。



<ロシア人の家庭での紅茶の飲み方>

1.急須に紅茶の葉を入れてそこに沸騰したお湯を入れ、濃い紅茶の液(ザバルカ)を作る。

2.濃い紅茶に、好みに応じてお湯を注いで薄めて飲む。

日本での紅茶の飲み方とちょっと違っているが、紅茶のお茶の葉が高額であるため、そのような飲み方がロシアの人々の間で広まったと言われる。

ティバックが普及しつつあるロシアですが、それでもザバルカを使ってお茶を飲んでいる家庭は多いようだ。


<サモワールについて>

サモワールは湯沸かし器のことである。サモワールの上のところに、小さい急須をおくところがある。そこに、ロシア人は、ザバルカの入った急須を置いていた。そして、お茶を飲む時は、その急須から茶碗にザバルカを少々注いで、それにサモワールのお湯を注いで、お茶をのんでいた。サモワールには、ブーブリキと呼ばれるわっかの形をした乾パンがかけられており、好みでブーブリキをとってお茶と一緒に楽しんでいる。

ただ、サモワールは、電気ポットの普及により、今では、お客さんを呼んだ時とか、何か特別の日にしか使わなくなってしまった。




  1. クワスについて
    クワスについて文献でふれられているのは、今から1000年以上も前、989年頃である。当時クワスは、蜂蜜を使った飲み物や果物を使った飲み物(いちご、草などの煮汁)と同様に飲まれていたが、現代まで人気を保ったのはクワスだけである。クワスには様々な種類や調理方法がある。クワスは、飲み物としても、また、冷たいスープ「アクローシュカ」の材料としても使われている。クワスは、大麦またはライ麦の麦芽を発酵させて作るロシア独特の飲み物である。作るのに70日くらいまでかかる。

    ロシアには、「ロシアのクワスは多くの人々を助けた。」ということわざがあるほど、その栄養度の高さをロシアの人々は信じている。クワスは、体に与える効果という点から、ケフィール、プロストクワシュ(ヨーグルトの一種)、クムイス(馬乳)に似ている。クワスを飲むと食欲が出るとともに、クワスは、高エネルギー価値のある、体によい飲み物である。

    なお、ソ連時代、クワスは、ロシアのコカコーラと呼ばれていた。ペレストロイカ、その後の市場化経済でコカコーラが市場にあふれているが、ロシア人の間でのクワスの人気は衰えていない。


  1. コーヒーについて
    ロシアにコーヒーが入ってきたのは、ピョートル1世(1672年~1725年)の時代より前だったが、その当時は、薬として、外国人の医者にかかっていた裕福な人たちが飲んでいた。ピョートル1世がオランダから戻った後に、幅広くコーヒーが普及した。しかし、より一層ひろまったのは、フランスとの1812年の戦争後であり、ナポレオン戦争で、ロシア軍がパリまで行った後である。パリでは、当時あらゆるところにカフェがあり、コーヒーが多量に消費されていた。ロシアの最初のカフェができたのは、18世紀の終わりであるが、紅茶のほうがより普及していた。

    なお、サンクトペテルブルグのネフスキー通りに、1835年カフェがオープンした。このカフェは、1837年1月27日の夜、決闘の前に、ロシアの偉大な詩人プーシキンが訪れたことで有名である。このカフェはベリンスキー、ドストエフスキー、サルティコフ シェドリン、チェルヌイシェフスキーなどの多くの小説家が訪れ、ここで、コーヒーを片手に、著作のテーマを練ったと言われている。





4.ロシアでのレストランの予約について

ロシアでは、レストランは予約していくのがベター。現在、モスクワには、様々なレストランがあるため、レストランの選択や予約に困ってしまう。そんな時、電話で予算、食べたい料理を伝えると、適切なレストランを選んで予約してくれるサービスがモスクワにある。それがレストランレイティングである。
(電話番号:956-8866、956-6688)

なお、ロシア人がレストランを探す時に利用しているインターネットのサイトのアドレスを紹介する。(残念ながらサイトは、ロシア語である。)

  1. www.afisha.ru
  2. www.lunch.ru
  3. www.opencity.ru
  4. www.restoran.ru
  5. www.menu.ru


 
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